桃園神社
- 王さん

- 2024年10月1日
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更新日:9月6日
1930年代、日本は台湾の全ての町に神社を創建する政策をとっていた。台湾の神社のほとんどはこの時期に作られたものである。桃園神社は1935年(昭和10年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)6月10日に落成、鎮座式が行われた[1]。社格は県社で、北白川宮能久親王・大国魂命・大己貴命・少彦名命・豊受大神・明治天皇を祀っていた。
日華断交後の1974年2月、国民党政府は「日本統治時代の日本の帝国主義的なものは全て取り除く」との命令を発し、それにより各地の神社が破壊された。桃園神社(桃園県忠烈祠)は住民が反対したほか、一部の学者が「神社とはいえ唐風の建物であり、中国伝統建築様式の保存ともいえる。日本による侵略の歴史的証明として残すべきである。」の論述を提出したことからそれを免れ、日本統治時代のままの姿を保った。









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